旧約聖書の中に登場する巨大な塔、バベルの塔。ピーテル・ブリューゲルが描いた絵画「バベルの塔」で知っている方も多いと思います。なにかココロを捉えて離さないこの世界観を掘り下げてみます。
旧約聖書『創世記』
旧約聖書とは、ヘブライ語で書かれたユダヤ教の聖書のことを指しています。
その中の「創世記」と言われる中に表記がある「バベルの塔」
この創世記には、天地万物,人間,イスラエル民族の起源か書かれています。
ただ理解するにはとても難しい内容だそうですが・・・。

人間の勝手を罰するために神様が多くの言葉を発した、というお話し。
バベルの塔が実在したモデルがあるのか、ないのかは定かではないようです。
ピーテル・ブリューゲル
16世紀に活躍した画家。
最も世に知られている絵画が「バベルの塔」だと思います。

そのほかの主要作品は
- イカロスの墜落のある風景
- 謝肉祭と四旬節の喧嘩
- ネーデルランドの諺
- 子供の遊戯
- 悪女フリート
- 死の勝利
- 叛逆天使の墜落
バベルの塔
旧約聖書の「創世記」の中に出てくるバベルの塔。
聖書の中でも最も悲しく、かつとても重要な話として語り継がれています。
その内容を絵として形に可視化したことも評価されている一つなのかもしれません。
人間の傲慢さや気ままさを罰するために神は多くの言語を作った、とされるストーリー。
多くの言語を存在させたことで、混乱させ分裂させた。

今世界で話されている言語はたくさんあります。ひとつの言葉で考えると、それは人が想いや考えを共有するコミュニケーションツール。ということはコミュニケーションを「簡単」にするために使われているのが言語なのではないでしょうか。
それが国ごとで話している音声と文字が違う。
違うから理解出来なかったり、意思疎通が図れなかったり。
確かに「混乱と分裂」を招いているという側面は否めない。
ただ言語にはその土地、文化が色濃く反映されていて、この違いがあるからこそ面白さがあったり、学びが生まれたり。
違いを楽しめたら・・・。きっと世界の見方は大きく変わる。そして自分自身の成長に繋がる。
同じ言語を使って意思疎通が出来るからこそ、わかることが逆に辛い時もある。
言葉が通じないからこそ、相手を思いやれたり、言葉じゃなくジェスチャーでなんとかしようとしたりすることが全てマイナスではないと考えます。
もしかすると言葉が理解できないからこそ「気」を交わすことで相手との距離感が取れたり、近くなったりすることが良いときもあるのではないでしょうか。
バベルの塔は戒めでもあり、希望も指し示しているのかもしれません。
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