画家ムンク ノルウェーを代表する画家

映画・芸術

学校の教科書で見た絵画の中で特に印象に残っている「ムンクの叫び」 

2018年10月27日~2019年1月20日で開催されていた東京都美術館でのムンク展に行って、初めて生の「叫び」を見た時にはなんとも言えない迫力と、何度も絵の前を通って(立ち止まって見れない規則になっていました)絵と対話して鑑賞したことが今でも鮮明な記憶として残っています。

家族の死を体験した幼少期から、第二次世界大戦終戦の前年、孤独な死を遂げるまで60年間の画家生活の中で残した作品は、国際的にも評価が高く、20世紀における表現主義の潮流の先駆者として位置付けられています。

そんなムンクについて調べてみます。

大切な人の「死」から始まる芸術

ムンクはノルウェーの都市(現在はオスロ)で病弱な幼少期を過ごします。その時に母を結核で亡くし、9年後には5人兄弟の中で仲の良かった姉ソフィエも結核で亡くしてしまいます。

幼くして大切な家族を喪失した経験がのちの画家を決意し、作品にも大きく反映されています。ムンク展では100点ほど展示されていましたが、哲学的要素を非常に感じる作品が多く、ムンクの魂の「叫び」を感じることのできる展示会でした。

「病める子」の一連の作品は、姉の死をほうふつとさせる描写で、孤独や絶望といった内面の感情が鮮明に描かれています。

人間の感情の深さを追求した描写は当時新しい方法としてイノベーションを起こしていたのではないでしょうか。

象徴主義的な表現へ

「私は見えるものを描くのではない、見たものを描くのだ」と書き残した1928年ノートより

北欧の短い夏の白夜や、月光が照らし出すフィヨルドや森の風景が繰り返し描かれています。風景や人物の造形要素が、男性が内面に抱える心情と一体になって象徴主義的な表現になっています。

1889年、パリへ留学中、父を亡くします。

このころからおびただしい量の文学性を帯びたノートを書き残し、「芸術作品は人間の内なる魂から生まれる」と言っています。

有名な「叫び」シリーズは人間が抱える実存的な不安や孤独、絶望を表し、近代社会のもたらす副作用にも反応した表現。

「生命のフリーズ」とも表現されています。

名声の傍ら、酒に浸り、健康と精神を蝕まれながらも放浪の生活を続け、作品作りを続けました。ここで出会った女性に結婚を迫られて、銃の暴発事件がおこり、不幸にも左手の中指一部を失ってしまいます。このとき、男女を主題とする作品が多くなります。

ムンクが考えた人生とは

ムンクは、人生を「誕生と繁殖、そして死が織りなす終わりなき循環」と考えていたと言われています。

1902年第5回ベルリン分離派展への出展を機に強力な支援者を得て、肖像画家として人気を博しました。その中に、哲学者のフリードリヒ・ニーチェの肖像画もあります。

その後、数か月の入院を終え、長く続いた放浪生活に終止符をうち、複数のアトリエを建設し、自らの作品とともに隠遁(いんとん)生活を送りつつ、精力的に作品作りを続けます。

1940年以降のナチスによる占領下時代も、戦争をさけるように生活し、迫る死を迎え入れるように立ち尽くす自画像を初め、多くの自画像を残しました。

その後、1943年ナチスによる爆撃で家のガラスが吹き飛ばされて、その寒さから気管支炎を患い、一人亡くなったと言われています。

最後まで「生と死」と向かい合った作品の数々

個人的にムンクから感じるのは、「生と死」「哲学的」な想いです。生まれた時から「死」を意識し、実体験の中でも幼いころに「死」を目の当たりにして、そこからの魂の叫びを感じます。

最後、「孤独な死」と表現していますが、60年間の画家生活の中で、生きること、死ぬことと徹底的に向き合い、感情を芸術作品へ落とし込んだ彼にとって、最後は「孤独」なものではなく、すんなり受け入れるように亡くなったのではないかと個人的には想いを馳せてしまいます。

私がなぜ子供の時からムンクの叫びに魅了され続けて、この展示会に行くことを心から楽しみにしていたのか? 

東洋思想に魅了され、コロナが襲来して「自分の使命とは」を考えるようになりましたが、

もともと、私は子供の時からこういう哲学的な考え方や「生と死」について考えるのが好きだったんだろうな・・・といまさら気づかされました☆彡

ノルウェーの景色を見たい・・・

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