先日音声メディアで興味深い話を聞きました。株式会社RDS社長の杉原行里さんのお話し☆彡 「テクノロジーが作るフラットな社会」ということで、やる・やらないは個人が選択することは大前提として、「やれない」という環境を作らない=テクノロジーがカバーしていくことが出来ないか?を模索されているお話は非常に興味深く、ワクワクしました。
言葉の壁
私は自身の体調不良から、自然療法や東洋医学を独学で学び始めて、とても馴染みが良かったために、東洋医学に対する「怪しい」「騙されそう」という先入観は知識をつけていくことで、どんどん薄れていきました。
ただこれを多くの方へ伝えていこうとしても、理解できない方が多いと感じています。
※もちろん「伝え方」を工夫しないといけないのは理解しています。。。
「東洋医学、思想」と聞くと、難しそう?宗教?怪しい・・・こんなイメージを払しょくするために、もっとフラットにわかりやすい言葉の定義が出来たら、「共通言語」として認識も変わっていくのかもしれないですね。
Kindle電子書籍で、最初は「東洋的」と入れていたのですが、表紙をお願いしたデザイナーさんが「オリエンタルはいかがですか?」と提案してくださり、自分自身がイメージがぐっと変化しました☆彡
お話を聞いた音声の中でも、「車いす=車が運転できない、と言葉で定義してしまうのはもったいない! たとえば、「モビリティ」と言い換えて、みんなの移動手段にしてしまえば、車いすだから、障害があるから、歩ける人だから、というくくりなく、フラットになるのでは?」という話が出ていて、非常に素敵な考え方だなぁ、、、とうなってしまいました。。。

n=one とは
モノづくり・開発は「n=one(1)」
ひとりに対してフォーカスしていくと、おのずと多くの方にも派生していく商品が作れるのではないか?という話もされていて、考え方は参考になる視点でしたし、固定観念を取っ払って考え方ひとつで世の中を変えることが出来るなら・・・。
なんだかそんなワクワクするお話しから、私が今取り組んでいる「セルフケア」や「東洋医学の深堀」を通して、今後切り離せない「テクノロジー」の掛け算が出来ないのか?を考えてみました。
ここ最近、これはよくビジネスの場では聞く話。
一人にフォーカスして徹底的に考える、まず一人のためになるものを企画してみる、ことが大きな価値に繋がっていく。
私も電子書籍の内容は、ペルソナを決めて、その人をめがけて自分の経験で伝えられることは何だろう?という想いをもって書き始めると、熱も入りましたし、スムーズに進みました☆彡

テクノロジー × 東洋医学
東洋医学は何千年も前からある理論で、自分自身のセルフケアで、現代生活の中で落とし込んでいくには、難しい面も感じます。
ただ現代まで淘汰されず残っているものは、人が必要としてきた証拠ですし、今後はテクノロジーとコラボしていければもっと活用してもらえるのでは?と考えたりはしますが・・・。
自然との共生・カラダとココロのつながりを感じられるものとして、今後は腕時計型のヘルスメーターとして主流になりそうですね。すでに時間を見るモノではなくなっていると思いますしね。
すでにあるサービスとしては、気圧や気候の変化を教えてくれたり、頭痛予報をしてくれるようなアプリがあったり。
気圧の変化はカラダへ大きな負担がかかってくるので、スマホで気軽に管理できるものだと助かりますよね☆彡
言葉で印象を変えて、とっつきやすいものにしたり、スマホで出来るセルフケアの方法が増えていけば、自分に意識を向ける方も増えてくれるのでしょうか。
私としても「テクノロジー×東洋医学」は、今後解き続けていきたい課題になりそうです。

コメント